パーソナルツール
現在位置: 環境ホルモン濫訴事件の記録 / 訴訟の経緯・問題点 / 本件訴訟の問題点(1)

本件訴訟の問題点(1)

本件訴訟は2007年3月に第一審判決が言い渡され、既に確定しています。このページは、ネット上の表現を巡る紛争の記録として、そのままの形で残しているものです。

 今回、このサイトを作るにあたって、本件訴訟の経緯を時間順にならべて、当事者のやりとりを確認してみた。その結果、この訴訟は最初からしくまれたものではないかという疑いが出てきた。

交渉の手順を踏むことなく提訴

 シンポジウムが行われ、松井氏が発表したのは、2004/12/17のことである。これについて、2004/12/24付けの「雑感」で、本件提訴の理由とされる文書が公開された。これに対し、松井氏はクレームのメールを2005/01/17に送った(甲3号証)。このメールを送ったとき、松井氏は中西氏だけに送るのではなく、最初から多数の友人にCc:して送信している。

 松井氏は、クレームを出したことを広く関係者に知らせたかったようである。しかし、このようなことは、まずは当事者同士で交渉をして解決するものではないだろうか。もともと、松井氏が国際シンポジウムで発表した内容について中西氏がウェブで批判した、というのがことの起こりである。自分から先に意見を世に問うたくせに、ウェブで批判を書かれたから提訴するというのは、対応が間違っている。学問の言論と表現の世界で十分に議論を尽くすべきだろう。

 2005/01/18に、松井氏からのクレームを受けた中西氏は、問題のページ内容を一旦削除し、よく考えて回答する旨、返事を書いた。このことに対する謝罪は、2005/01/20付けの「雑感」に書かれた。その後、2005/01/20から、2005/03/12までの間、この問題について、当事者間で話し合われた形跡が全くない。内容証明郵便等も飛び交っていない。
 次に、 中西氏がこの問題を検討するために、松井氏がシンポジウム当日紹介した新聞記事について問い合わせたのが2005/03/13である。これに対して、名誉毀損で提訴する準備をしているという返事が出されたのが、2005/03/15である。訴状の提出は2005/03/16で、この日の21時のウェブ版の毎日新聞と読売新聞には提訴の記事が出た。
 プレスリリースには「松井氏に対する名誉回復措置は何らおこなわれていない」とあり、松井氏の陳述書にも「せめて、私の抗議文を全文掲載してもらえれば、少しは私の名誉も回復されたのですが、それも行われませんでした。」とある。しかし、松井氏の側からは、提訴するまで、名誉回復について具体的にどうせよということを中西氏には何一つ要求していない。この内容の謝罪文を掲載せよとか金を払えといった具体的な要求は、訴状に記載されたのが最初である。一方、中西氏の方は「お約束は年度内ということで」(甲7の3)と書いているように、年度内にこの問題については結論を出すということをあらかじめ伝えてあったようである。

 提訴の準備を告知した翌日に訴状を提出している上、提出日に新聞記事が出ているし、プレスリリースも準備されているというのは、あまりにも手際が良すぎる。
 松井氏は京都市在住であるが、代理人の中下弁護士の事務所は東京にある。提訴を考えたからといって、地理的に離れた弁護士と打ち合わせをして訴状と書証を準備することになれば、1日で作業が終わるということは通常考えられない。だいぶ前から訴える準備をしていたはずである。交渉らしい交渉を一切せずに放置しておいて、訴状提出の前日に提訴の準備をしていると告げていることから、最初から松井氏は不意打ちで提訴することが目的であったと考えるしかない。
 名誉回復措置にしても、具体的な要求が無ければ、従いようも動きようもない。もし、もっと早く何らかの措置が必要であったのなら、まずは「年度内では遅すぎるから急げ」とか「名誉回復にこれこれのことをやれ」といったことを言うのが普通である。もし、何も言わずに提訴するとしても、それは期限がやってくる年度が変わった直後ということになるだろう。少なくとも2005/03/16ではないはずである。

環境ホルモン学会は、松井氏を支持しているのか?

 提訴を行ってから二週間後の2005/03/30に、原告代理人の中下弁護士は、上申書を横浜地裁に提出した。その内容は、「日本内分泌撹乱化学物質学会事務局に対し、訴状別紙(1)記載の謝罪広告を同学会が発行するニュースレター「Endocrine Disrupter NEWS LETTER」に掲載する件につき確認しました。その結果、当事者からの依頼または裁判所の判決があれば同謝罪広告を同ニュースレターに掲載する、その場合の掲載料は無料である、との回答をいただいております。」というものであった。訴状の送達は2005/04/03、第1回甲答弁論は2005/05/27である。

 これがもし、「謝罪文を日本内分泌撹乱化学物質学会(通称環境ホルモン学会)の会員ニュースに掲載せよ」という主張をするだけであったならば、何も問題はなかった。裁判の過程で、それが可能かどうかを調べて決めることになるだけである。しかし、上申書によると、環境ホルモン学会は早々と謝罪文の無料掲載に同意している。
  裁判所が言えばこの学会のニュースレターには何でも載るのかというと、それはおそらくあり得ないだろう。上申書から判断する限り、環境ホルモン学会は、2005/03/30以前に、原告が決めた謝罪文を掲載することを、学会として公式に認めていたことになる。これは、学会として松井氏を支持するつもりがあるように見えるが、本当に学会の総意として支持を決めたのだろうか。学会として、社会に起きている問題に何らかの意見を表明するのは社会的活動の範疇に入る場合もあるだろう。しかし、今回の訴訟の当事者はあくまでも松井氏と中西氏であり、訴訟の原因とされている中西氏の文書の内容は学会とは全く無関係である。中西氏は、問題となった文書の中で、環境ホルモン学会については何一つ書いていない。にもかかわらず、訴状の中で、謝罪の掲載場所として環境ホルモン学会が登場するというのは、いかにも唐突で不自然である。
  もし、学会の総意として松井氏の支持を決めたのではないとしたら、松井氏が独断で環境ホルモン学会を利用しているか、勝手に巻き込んだと考えるほかなくなる。この点について、納得のいく説明が欲しいところである。