反訴答弁書(2005/11/17)
反訴答弁書(2005/11/17)
本件訴訟は2007年3月に第一審判決が言い渡され、既に確定しています。このページは、ネット上の表現を巡る紛争の記録として、そのままの形で残しているものです。
平成17年(ワ)第914号・平成17年(ワ)第3375号反訴
原告(反訴被告) 松 井 三 郎
被告(反訴原告) 中 西 準 子
反訴答弁書
2005年11月17日
横浜地方裁判所 第9民事部合議係 御中
原告(反訴被告)訴訟代理人弁護士 中下裕子
同 弁護士 神山美智子
同 弁護土 長沢美智子
同 弁護士 中村晶子
第1 反訴請求の趣旨に対する答弁
1 反訴原告の請求を棄却する
2 訴訟費用は反訴原告の負担とする
との判決を求める。
第2 反訴請求の原因に対する認否
1 反訴状第2の1項記載の主張は争う。
2 同2項の記載のうち、反訴被告が引用のような発言をしたことは認め、発言の趣旨に関する反訴原告の主張については否認ないし争う。
3 同3項の記載のうち、昭和63年1月26日の最高裁判決からの引用部分を除き、否認ないし争う。
4 同4項の記載のうち、反訴被告が引用のようなプレスリリースを行った事実は認め、反訴被告が本訴提起した意図が、真に自らの名誉回復を求めることにあるのではなく、反訴原告への攻撃にあったとの点は否認し、その余は争う。
5 同5項は争う。
6 同6項は争う。
第3 反訴被告の主張
1 反訴被告による本件請求が正当なものであることは、訴状、準備書面(1)、準備書面(2)記載のとおりであるので、これらを援用する。
2 反訴被告が本訴を提起した意図について
反訴被告が本訴を提起するに至ったのは、反訴原告による本件名誉毀損行為がおよそ「科学者」にあるまじき行為であり、反訴原告の社会的立場に照らして看過できないものであると考えられたこと、反訴被告が本件記事に対して抗議したにもかかわらず、反訴原告は本件記事をホームページから削除したのみで、抗議文も掲載せず、反訴被告に対する名誉回復措置も講じなかったこと、反訴原告の態度からは真摯な反省が窺えなかったことからである。このような事情については、既に原告の準備書面(1)で記述したとおりである。
反訴原告は、反訴被告の提訴の意図が、「環境ホルモンの代表とも言えるダイオキシンについて、世間が言うような危険性は認められない」と主張している反訴原告に対する攻撃にあったと主張するが、これまた反訴原告の自分勝手な思い込みに基づくものにすぎないことは、これまでの反訴被告の主張からも明らかである。自ら名誉毀損行為を行っておきながら、そのことは全く棚上げにして、反訴被告の訴訟の意図が不当であるかのように攻撃するという反訴原告の姿勢は、反訴被告が準備書面(2)で指摘した数々の反訴原告の問題行為と、これまた共通するものである。
反訴原告は、本件訴訟の意図が前述のようなものであったことを示す根拠として、乙6のプレスリリースの中の記載を挙げている。しかし、プレスリリースは、あくまでも新聞記者への説明用に原告代理人が作成したものであり、しかも反訴原告の引用部分は、本件提訴の目的というよりは、提訴に至った付随的事情を説明したものにすぎない。当然のことながら、原告は、本件訴訟において環境ホルモンをめぐる科学論争をすることなど考えてもいないし、現に原告の訴状はもとより、準備書面(1)、(2)においても、そのような主張は一切行っていないのである。訴状をはじめとする反訴被告の法的主張ではなく、新聞記者への説明用の書面の中の、付随的な事情説明部分の、それも1文だけをとらえて、本件訴訟の目的が専ら環境ホルモン問題について対立する立揚にある反訴原告への攻撃にあったなどという穿った見方をすること自体、反訴被告が準備書面(2)で縷々述べてきた被告の名誉毀損のやり方と、共通性があることがよく分かるというものである。
また、反訴被告の代理人らがいずれもダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議の役員を務めているとしても、反訴被告代理人らはいずれも個人的に、弁護士の立場で本件訴訟行為の委任を受けているものであって、本件訴訟が国民会議とは何の関係もないことは、甲第19号証に記載されているとおりである。国民会議には、呼びかけ人となった158名の女性弁護士を含めて約300名近くの弁護士(男女)の会員がいるが、その中の複数が共同受任すれば、国民会議の意向を訴訟に持ち込む不当訴訟だといわれるのであろうか。もし、そうだとしたら、反訴被告代理人たちは、依頼者に「不当訴訟」と言われないようにするため、共同受任を差し控えなければならないことになりかねない。このような理由で反訴を提起することは、不当な業務妨害行為ともいえるのであって、それこそ不当反訴に該当すると言わざるを得ない。
3 学問的見地からの批判の自由の主張について
反訴原告は、本件名誉毀損行為は「学問的批判」であると主張しているが、本件は、およそ学問の名に値しない、悪質な「言語の暴力」に他ならないことは、既述のとおりである。
いかなる言論といえども、徒に他者を辱め、その名誉を傷つけるものであってはならないことは当然である。根拠のない誹謗中傷の類いがおよそ「言論の自由」として法の保護に値しないものであることは言うまでもない。「学問的批判」というのであれば、少なくとも事実に基づき、合理的根拠を示して行うべきであるのは、科学者として当然の態度であろう。反訴原告のように、原論文も読まず、勝手な思い込みによる誤った事実を前提に他者を批判するなどということが、およそ「学問的批判」などと呼べる代物でないことは明らかである。
さらに、問題なのは、そのような「批判」が、反論の機会の保障のないホームページという媒体で行われているということである。いやしくも「学問的批判」というのであれば、両者間の直接的な討論や学会など反論や討論の機会が保障される場を通じて行われるべきであることは当然であろう。そのような場で問題にすることなく、わざわざ一方的媒体である自己のホームページで批判を行い、それに対する抗議がなされても、抗議文をホームページに掲載しないようなやり方が、どうして「学問的批判の自由」などと呼べようか。他者の反論を許さず一方的な批判だけを不特定多数に発信することこそ、学問の健全な発展を阻害するとともに、それこそ言論の抑圧につながりかねないものである。
反訴原告は、本件名誉毀損行為に対して、反訴被告が反論するのならば、言論をもって行うべき、すなわち、言論の応酬により解決すべきであったと主張している。では、なぜ、反訴原告は、本件批判をシンポジウムの場でもなく、相互の「言論」の場でもなく、反論の機会の保障のない自己のホームページ上で一方的に行ったのか。なぜ、反訴被告からの抗議メールを公開し、その上で本件のような反論をしなかったのか。自らの過ちは棚上げにして、一方的に他者だけを居丈高に批判するという、これまで何度も指摘してきた反訴原告の悪質な態度は、ここにもまた現れているといえる。
批判の自由が重要であることは当然である。しかし、批判というものは、常に他者の名誉を損う可能性を持つものである。したがって、批判を行う場合には、必ず事実に基づき、合理的根拠を示して行わなければならないことは既述のとおりである。事実に基づかない一方的な批判は、単なる誹謗中傷の類いにすぎず、それによって他者の名誉が侵害された場合には、名誉毀損として不法行為を構成するというのが、民法及び判例の考え方である。本件は、まさに、そのような事実に基づかない一方的批判であり、名誉毀損行為に他ならないことも、既述のとおりである。
そもそも他者への批判というものは、必ず自己への批判と連結されていなければ、真に建設的批判となり得ないものである。反訴原告のように、自己を反省することもなく、自己の非は棚上げにしたまま、一方的に他者を批判するという姿勢では、到底、建設的批判たり得ない。単なる悪口、誹謗中傷にすぎず、そのような悪口の応酬は、却って真の自由闊達な議論を阻害し、学問の発展に寄与するどころか、逆に言論の抑圧につながりかねないのである。
4 以上のように、本件反訴は、およそ請求の根拠を欠く不当なものと言わざるを得ず、速やかに棄却されるべきである。
以上